私を生きること=『私』の本質って?

私を生きること=『私』の本質って?

瀞月です、皆さま如何お過ごしですか?

前回、鏡女の言葉に、

「私」の本質につながる=つまり、それは、「私」を生きること。

とありましたが…そもそも「私」の本質ってなんなのか、考えてみたことはお有りですか?

僭越ながら。瀞月はホロスコープを読むことができるのですが、どなたかの星図を診ていつも思うことは、

星は語る

ということに尽きます。生まれたときの星の配置はフィックスされており、動かすことは出来ません。その配置にこそ本質が潜んでいます。星の不思議であり、人智を超えた何かを感じます。古来から人はそれをオカルトと呼ぶのかもしれませんが。

私の本質を知りたい、と思う方は、いちどご自身のホロスコープを紐解いてみると良いかもしれません。あまたの占いあれど、占星術に関してはセレンディピティは関係ありません。定められたものであり、決してブレるものではないのです。ご自身を観て、知り、そして分かることに繋がると思います。

私が敬愛する占星術師、山内雅夫先生(2011年11月17日逝去)は、星占いは人類の偉大なる霊的資産であると述べました。古代の昔にも星は変わらず運行していました。流星や彗星も出現したでしょう。そこに経験的に意味を見出し、自然発生的に占いへと発展していったことを思えば、まさに気の遠くなるような時間を積み重ねた叡智なのです。

幸いといいますか、かつて数学者や天文学者が骨折りし算出したホロスコープは、今は科学の力で一瞬で産むことが出来ます。わら半紙に羽根ペンでカリカリしたためるほうがロマンチックではありますが、合理性の勝利ですね(笑)

〜あなたの本質は、ホロスコープに隠されています〜

それは断言することができます。おいおいこのブログでしたためていきたいですが、長くなるので今日はこの辺で。

瀞月 拝

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